ロックンロールに蟀谷を

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わからない。―[感想]明日、君がいない

新年早々、今年見た映画ベストワンになりそうな作品に出会ってしまった。いや、これまでの人生で見た映画の中でも1位2位を争うくらいの作品であった。そんなに映画たくさん見てないんだけど。
明日、君がいない』(原題『2:37』)
以下、ネタバレありでいきます。まだ見てない人は絶対先に映画を見るべき!


冒頭で、どうやら誰かが死んだようだ(自殺のようだ)ということがわかる。その後ぶわーっと6人くらいの人物紹介が続き、観客は自然と「いったい誰が死んだのだろう」という意識で見ることになる。
そして最後、意外な人物が死んで、なんとこの人だったのか!となるんだけれど、決してそのサプライズのトリッキーさがこの映画の本質ではない。そこを間違うと、「こんな騙し方はずるい」とか、「いや、意外だったけど、それで?」といった感想にしかならないだろう。
この映画は、監督の実体験にもとづくものらしい。監督がこの作品で表現したかったことは、決して観客を欺く手法などというレベルの小ずるい試みではない。そうではなくて、これこそが、監督が体験したことだったのであろう。
つまり、一言でいえばそれは、「わからない」ということ。
悲劇の主人公への内的焦点化が許される映画では、主人公の苦悩が丸裸にされるのが普通だ。彼はこんな辛い経験をしてきた。それをこんなに頑張って、頑張って、ようやく乗り越えて幸せになった。そのプロセスが見えるから、観客は主人公に共感し、感動するのだ。
だが、ムラーリ・K・タルリ監督が体験した出来事は、そうではなかった。苦悩を抱え、それと闘って闘って、ついにやぶれてしまった友の悲劇ではなかった。死なれた友人に、自分は何かしてあげることができたのか、あるいはできなかったのか、それすらわからなかった。
それを彼は、映画の最後で一人の登場人物に語らせた。「わからない」。話してくれればよかったのに、と。
結局そうなんだ。他人の辛さなんて、わかってあげようと思ったって、わからない。全てを共感することはできない。自分にも自分の辛さがあるのだし。また、これも映画の中の人物の語っていたことだけど、家族や友人がいても、本当に大変なことは話せない。そういうとき、すごく孤独である、と。
見終わってから、ずいぶん考えさせられる映画だった。また、構成や構図もずいぶん面白いことをやっていて、映画通な人からすると、荒っぽく感じる部分もあったりするのかもしれないけど、個人的には素直に楽しめた。退屈する暇は全くなかった。
ほんと、すごい映画、という感想でした。