ロックンロールに蟀谷を

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みんなクレヨンしんちゃんだった

 現在二十歳前後のクレヨンしんちゃん世代が思い出を語る【働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww】
 http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51511107.html


うちらの世代ってのは、小学生のときにもろクレヨンしんちゃんの影響を受けてた連中だ。家に帰ったときには「おかえりー!」、返事は「ほーい」、母親のことは「みさえー」ばりに呼び捨て。親が「子どもに見せたくないテレビ番組」ランキングでは、ダウンタウンのごっつええ感じ、「同情するなら金をくれ!」の家なき子とならんでベスト3にランクインしてたと記憶してる。
思い出したら懐かしくなって、クレヨンしんちゃんのエントリーを上げたくなった。それで、クレヨンしんちゃんが僕らに教えてくれたものって何だったんだろうなーとか考えてたんだけど、「家族の絆の素晴らしさ」とか、「子どもの友情の美しさ」とか、なんか違うんだよなー。
これは個人的な好みの問題になるけれど、そもそもオレは「オトナ帝国の逆襲」とか「アッパレ!戦国大合戦」とか、世間の評判ほど良い映画だと思わなかった。どっちも感動したっちゃしたけど、しんのすけが「お前逃げるのか?」とかカッコイイこと言ったり、長い階段を必死で駆け上ったりする場面で、どうも冷めてしまった。
そういうのはのび太にやらせときゃいいんだよ。
クレヨンしんちゃんは、しんのすけがムカツク奴であってこそクレヨンしんちゃんだ。距離を置いてみるとそれなりに楽しいやつなんだけど近くにいるとそのわがままさ図々しさにうんざりするのがしんのすけだ。しかも本人がそのことに無自覚なのが何よりムカツク。
その子どもの無邪気さに大人たちはふりまわされ、ストレスを与えられ、また、ときに感動を与えられる。子どもが与える無自覚の感動。これこそがクレヨンしんちゃんという作品のもつ感動性なんじゃないかと思う。
子どもは、別に世界を救わなくても、ただ納豆ご飯をひとりで作ってみせればいい。それだけで親を感動させるには十分なのだ。

(『クレヨンしんちゃん (Volume6)』より)


だから確かにクレヨンしんちゃんは深い感動を含む作品だと思うけれど、決して手放しで賞賛されるタイプの作品ではないと思うし、そんな風に崇められているのを見てると違和感があるというか、要するに嫌な感じがする。やっぱりクレヨンしんちゃんには「子どもに見せたくない」作品であってほしいなぁ。
 


↓このへんが賛否両論な感じだったので書いてみた感じでした。
すくいぬ クレヨンしんちゃん~もうひとつの物語~