ロックンロールに蟀谷を

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Perfumeをテレビで見る度、「個性を消してくれ!」と思っていたけど

男は誰しもPerfumeについてしたり顔で持論を展開したい生き物なのだと思う。それでいてしっかりした精神力を持っている大方の人は、きっと痛いことになるであろうことが目に見えているので自粛しているのだと思うが、ついにその精神を抑えきれることができなかった人が書いてしまったものを読むと、つい負けまいとする心が湧き上がってしまい、そしてとうとう書くことにした。きっと反省はしない。そもそも酒の席で興味もない友人に延々と語り聞かせるよりはよほど健全な行為なのだから。

http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20090517

Perfumeの何が好きかと聞かれれば、自分も当然音楽だよと答えるが、自分にとってはカラオケ云々は別に問題じゃない。確かにポップス畑の人間にとってはひとつの大事なポイントになりうると思うが、そもそもロックやテクノ、ジャズ、ボサノヴァやらから雑食している自分のような人間にとっては、カラオケで歌えるかどうかは最初からさして重要なポイントでない。
また、確かに彼女達のダンスは魅力的だと今では思うけれども、自分の場合、入り口は純粋にそのサウンドであった。サウンドとはもちろん、中田ヤスタカ氏のトラックだけを指すのでなく、Perfumeの3人の歌声も含めてのサウンドである。
正直、自分でも、Perfumeサウンドの何に惹かれるのか、ずっとナゾだったのだけども、最近一応の解釈ができた気がする。Perfumeにあって、capsuleやCOLTEMONIKHAにないもの、それはズバリ、ヤスタカ氏がついに取り除き切ることのできなかった、歌い手の人間臭さなのだと思う。
最初自分は、Perfumeがテレビ番組でしゃべる姿を見かける度に、「もっと個性を消してくれ!」と思っていた。ヤスタカ氏の機械的な(もっというとロボット的な)楽曲の歌い手として、どこか違和感を感じていたのだ。だが、最近では、逆にそれこそが自分がPerfumeに惹かれたポイントだったのではないかと思うようになった。
具体例を挙げよう。

この「シークレットシークレット」1:40くらいからの、「駆け引きの見える場所」の「ばしょー」の部分とか、明らかに前のめりになってる。リズムマシンなら絶対起こさないタイプのエラーである。まあここだけ見れば単にリズムに合っていないということなんだけど、ここは分かりやすい極端な例を挙げただけであって、つまり、ヤスタカ氏の設計図をPerfumeが形にするときに生じる誤差こそが、結果的にPerfumeの魅力になっているんじゃないかと思うわけです。
実際に自分がPerfumeの曲を聴いていて特に耳が持っていかれるのは、その息遣いが入ってしまっている部分だったりする。

ポリリズムのうたい出し。PVの映像を見ているとわからないが、目をつぶって聴くと、曲頭の一瞬の空白部分にしっかり息を吸う音が入っているのがわかる。つまりこういうのさ。こういう人間臭さ。
最近出した何曲かのシングルではこういう人間臭さがだんだん消えてきた気がして、個人的にはGAMEほどの魅力は感じないなぁというところです。